新演目:頼 政/よりまさ
この神楽の原作は、平家物語と源平盛衰記で、源三位頼政のヌエ退治を神楽化したものである。三條の森にある御殿は、毎夜丑の刻になると黒雲に覆われ、帝は病魔に侵される。この黒雲の正体はヌエと言い、頭は猿、体は牛、手足は虎、尾は蛇に似た化物である。このヌエを退治せよとの勅命を受けた頼政は、猪早太を従えヌエ退治に向かいます。
「人知れず大内山の山守は 木暮てのみ月を見るかな」
極めて娯楽性の高い神楽です。神楽の前半には猿が登場し農民を悩ませますが、そのやりとりがとても滑稽で、見る人を楽しませます。



道返し/ちがえし

「鬼返し/きがえし」とも言う。常陸/ひたちの国、鹿島神宮(茨城県鹿島町)の祭神である武甕槌命/たけみかづちのみことが世界各地を荒し廻った悪鬼を退治する神楽。神と鬼が幕を挟んでの言葉の戦いで掛け合い、立ち会いとなるが、鬼は破れて降参してしまう。幕内の鬼と外の神との幕を挟んでの掛け合いが特徴。また、石見神楽では珍しく鬼が降参し、許されるという形で終わる。鬼を殺さずに道の途中から返すので、道返しという。

「峰は八つ 谷は九つ音にきく 鬼の住むちょう あららきの里」
鹿島神宮の祭神、武甕槌の命は、世界中を荒し廻った魔王が、日本に飛来し人々に危害を加えていると聞き、退治に向かう。鬼が現れ相手をいい伏せようとして掛け合う、魔王とついには立ち会いとなる。激しく戦うが鬼は敗れ、「秘術を尽くして戦ったが神の剣からは逃れられない、命だけは助けてくれ」と降参する。命は「命を助けてやるから、今後は人を食うのをやめて、九州高千穂にある千五百穂/ちいほの稲穂を食え」と許し、魔王は喜んで高千穂に向かう。



鹿 島/かしま

鹿島

大国主命/おおくにぬしのみことの国譲りを題材とした神楽であるが、大国主の第二の王子建御名方命/たけみなかたのみことが、経津主命/ふつぬしのみことと、力比べをする所が見所となっている。

「国中の荒ぶるものを 平らげし 鹿島香取の神ぞ貴き」
経津主命、武甕槌の命/たけみかづちのみことが、大国主命に出雲の国を譲る様に談判する。大国主は、自分の2人の息子の承諾を得るようにと言う。第一の王子、事代主命/ことしろぬしのみこと(恵比須様)は承諾するが、第二の王子、建御名方命は承諾せず、経津主命と力比べになるが敗れて逃走する。信濃の諏訪まで逃げるが、ついに降参し、命請いをし国を譲る。



恵比須/えびす

恵比須
「国を始めて急ぐには 国を始めて急ぐには 四方/よもこそ静かに釣りすなり」
八重事代主の命/やえことしろぬしのみこと(恵比須の大神) は大国主の命/おおくにぬしのみことの第一の皇子で、とても釣りの好きな神様である。美保関神社の御祭神で、漁業、商業の祖神として崇拝されている。
神楽の中では、大人が旅の途中、杵築/きつきの宮に詣で、そのついでに美保関神社に参詣した。宮人が当社の祭神の縁起を物語り、祭神の神徳を述べる型式となっている。その後、恵比須の大神が現れ、大神の鯛釣りの様子を舞ったものである。



八十神/やそがみ

八十神

登場人物=八上姫・武彦(あにまあ)・乙彦(おとまあ)・大国主(おおくにぬし)

大国主命が継兄弟の八十神たちと八上姫をめぐって争う様子を描いたもの。
八十神たちが八上姫に求婚するが八上姫は大国主を選ぶ、これによって八十神たちは大国主を殺害しようと計略を練り大石を焼いて赤イノシシといって転がしたり木の割れ目にはさんだりするがついには退治されてしまう。
「八雲立つ出雲の神をいかに思う 大国主を人は知らずや」

この神楽は八十神、弟まあ、兄まあたちの方言丸出しのやりとりがおもしろい。
●古事記(要約)
大国主神には、八十神といって、何十人もの、大勢の兄弟がいました。その八十神たちは、因幡の国に、八上媛(やがみひめ)という美しい姫がいると聞き、自分の嫁にしようと、因幡へ行きました。八十神たちは大国主神が、おとなしいのをよいことにして、お供の代わりに使って、袋を背負わせてついて来させました。その時、大国主神は因幡の気多(けた)という海岸で、八十神たちに騙され泣いている白兎を助けました。兎は喜んでお礼を言い「悪い八十神たちは、決して八上媛をご自分のものにはできません。八上媛はきっと、あなたのお嫁さまになるでしょう。」と申しました。
八十神たちは八上媛のところへ着き代わる代わる、自分の嫁になるよう言いましたが、媛は「いいえ、いくらお言いになりましても、貴方たちの嫁にはなりません、私は、大国主神のお嫁にしていただくのです」と申しました。
八十神たちはそれを聞くと怒って、大国主神を殺そうと、伯耆(ほうき)の国の手間の山の下へ連れて行き、「この山には赤い猪が居る。自分達が山の上からその猪を追い降ろすから、お前は下に居て捕まえろ。逃がしたらお前を殺してしまう」と、言い渡しました。そして山の上へ上がって、火を焚きその火の中の猪のような形をした大きな石を真っ赤に焼いて、「捕まえろ」と言いながら転がし落としました。
麓で待ち受けていた大国主神は、駆け寄って力まかせに組みつきますと、身体はたちまちその赤焼けの石の膚にこびりついて、そのまま焼け死んでしまいました。
大国主神のお母様は、それを聞き高天原の、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)に助けをもとめ、蚶貝媛(きさがいひめ)、蛤貝媛(うむがいひめ)と言う、赤貝とはまぐりの二人の貝を下界へ降しました。赤貝が自分のからを削って、それを焼き黒い粉をこしらえ、はまぐりが水を出してその粉をこね、乳のようにして、大国主神の体中へ塗りつけると大火傷が忽ち治りました。
八十神たちは、それを見ると驚き、もう一度相談して、今度は大国主神を山の中へ連れ込み、大きな立木を根元から切り曲げて、その切れ目へくさびを打ち込んで、その間へ入らせ、くさびを打ち離して挟み殺してしまいました。
大国主神のお母様は、木の幹を切り開いて、大国主神の死骸を引き出し、一生懸命に介抱して、再び生きかえらせ「もうお前はこの土地に置いてはおかれない」と、須佐之男命のおいでになる、根堅国(ねのかたすくに)へ行かせました。
根堅国で須佐之男命の娘の須勢理媛(すぜりひめ)に助けられ、この国へ戻った大国主神は須佐之男命からさ授かった太刀と弓矢を持って、八十神たちを坂の下や川の中へ切り倒し突き落とし一人残らず亡ぼしてしまいました。そして、国の主になって、宇迦の山の下に御殿を建て、須勢理媛と二人で暮らしました。 八上媛は、大国主神を慕って、尋ねて来ましたが、大国主神には須勢理媛というお嫁さまができていたので、仕方なく国へ帰ってしまいました。



四 神/よじん

四神

一名「笠の手」とも言う4人で舞う舞で、小さい竹のない弊と輪鈴、扇を持って舞う。舞も複雑で4人の舞が揃うと大変美しい舞である。演ずるものにとっては難しくてやりがいのあるものである。

「津の国の和田の岬に時雨来て 笠持ちながら濡る々よしもがな」



塵 輪/じんりん

塵輪

神2人、鬼2人の鬼舞の代表的な神楽である。人皇第十四代の天皇、仲哀天皇/ちゅうあいてんのうと介添の高麻呂が、異国より攻めてきた数万の軍勢を打ち破る神楽。

「弓矢とる人を守りの八幡山 誓いは深き石清水かな」
第十四代の帝、帯中津日子/たらしなかつひこの天皇/すめらみことが、異国より数万騎の軍勢が日本へ攻めて来る中に塵輪といって、身に翼があり、黒雲に乗って飛び人々を害する悪鬼がいると聞き、天の鹿児弓/かごゆみ、天の羽矢/はばやを持って高麻呂を従え討伐に向かう。そして互いに名乗り合い戦うが、ついに退治する。


黒 塚/くろづか

黒塚

この演目は、謡曲「安達ヶ原」の鬼と、「殺生石」の玉藻の前の2つの伝説を続けたもので、謡曲の直接的影響が強い。安達ヶ原の伝説は、大和物語などが原據のようであり、殺生石は「謡曲通解」には「出處は海藏寺開山伝に、玄翁は相州海藏寺の開山なり……後深草の勅により野州に至り殺生石を碎破す云々」とあるが、實は金毛九尾の狐の話は中國が本家である。「金嘗て全相平話、武王討紂といふものをみるに、紂が死せる時、姐己化して九尾の狐となって天に上る。太公望符を持してこれを呪す。狐乃ち降る」(本朝神社考)などとみえ、もともと姐己の伝説である。
熊野、那智山の東光坊/とうこうぼうの高僧、阿闍梨祐慶大法印/あじゃりゆうけいだいほういんが剛力/ごうりきと修行の旅の途中、那須野が原を通りかかり、九尾の悪狐が人々に害を与えているのを聞き、人々のために、この悪狐を退治しようと出かけるが、逆に化かされて法印は逃げ去り、剛力は食われてしまう。それを知った弓の名人、三浦之介/みうらのすけ、上総之介/かずさのすけにより退治される。

「むつの国那須野ヶ原の黒塚に 鬼すむよしをきくがまことか」
「山伏の持つべきものは袈裟ころも 法華経山の百八の数珠」

なげき「青き葉の燃えたつほどに思へども煙たたねば人は知らずや」
   「立ち返り又もこの世に跡たれて二道かくる殿は頼まじ」
この舞は、剛力と法印や宿の主人との方言など交えたユーモアのあるやりとりと、妖女が悪狐に姿を変え法印を追い廻すところに他の舞にない魅力がある。
石見の人にはこの演目を好む人が多く、大人から子供にまで人気のある演目の一つである。