![]() |
日本武尊/やまとたけるのみこと
|
|
|
「西の国ことむけ終えて東に また出で立たす皇子ぞかしこき」 | |
日本武尊の東夷征伐の神楽。 九州に豪族熊襲/くまそを平らげた尊は、父、景行天皇に報告するが、東の国を平定するよう命ぜられ、すぐに東国へ出発する。途中で伊勢の宮に参拝し、叔母君、大和姫/やまとひめに会い天の村雲の宝剣を賜られる。駿河/するがの国に住む兄ぎし、弟ぎしたちは、天皇の命令に従わないので征伐されると聞き、兄弟を呼び集めるが、対抗策を賊首/ひとこのかみに教えを請い、「この野には、人々に害を与える大鹿がいる」と欺/あざむき、尊が大野に入ったところを、八方より火を付けて焼き殺そうとするが、宝剣が自然と抜け出て、草をなぎ払い守袋の中の火打ち石で迎え火をつけて、難をのがれ兄弟達は退治されてしまう。この時、「天の村雲の宝剣」の名を「草薙/くさなぎの剣」と改称した。 |
![]() |
天の岩戸/あまのいわと
|
![]() |
天の岩戸の物語を原材とし天照大御神の御神徳をたたえ、又、日本における祭祀、及び、神楽の起源を語ろうとするものである。天照大御神が、弟、須佐之男命の乱暴に困り天の岩戸の中にお隠れになったので、世の中すべてが闇夜となり多くの禍が起こった。そこで神々は集まって相談され、天の宇津女命を呼んでおどらせ、長鳴鳥を鳴かせ賑わいを出した。これを不思議に思った大御神が岩戸を少し開けたところを、大力の手力男命が岩戸を開き大御神を迎え出し、再び世の中が明るくなり、平和を取り戻した。 |
![]() |
「胴の口開け」とも言う。舞は無く、囃子だけで演じる、神楽の中でも珍しいものである。胴とは大太鼓のことで、新調した太鼓と古い太鼓のたたき比べをする太鼓開きのときなどにも演じる。また祝いの太鼓としても演じられている。 |
「さいはいや 入りましを 今日ぞしらせばや 七さかや 八さかを越えて 今日ぞ入ります」 |
石見神楽の中の色々な音曲を組み合わせてつくられた集大作とも言われ、神楽歌を歌いながら2つ以上の太鼓で演じる。 |
![]() |
「こち吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」 |
この詩で有名な学問の神、菅原道真公/すがわらのみちざねこう(天神様)の物語である。 道真は生まれながらにして才能があり光孝、宇多、醍醐3代の天皇に仕え、右大臣にまで登用されるが、時の大臣の藤原時平/ふじわらのときひらはこれをねたみ、天皇に讒訴/ざんそし、これによって道真は九州太宰府へ左遷された。そこで道真は都への思いを募らせながら生涯を終える。その後、時平は39歳の若さで病死し、その一党も雷に打たれたり、急な病により次々に死んだ。また京都では火災が次々と起こったり、日照りなどの天災が続き、これは藤原一派に恨みをもつ道真のしわざではないかと考えられていた。八調子の神楽では、道真が直接退治する様に改作し舞っている。 この神楽で歌われる歌は菅原道真が実際に詠んだ詩を歌ってある。 |
八 衢/やちまた
|
![]() |
「あら嬉しあら喜ばし これぞこの御先拂わん御矛なるかも」 |
古事記及び日本書記の一書にあり、天孫降臨/てんそんこうりんの神話を神楽化したもので、やちまたとは天上での天降りの途中で、道が多方面に分かれた所をさす。 天孫邇々芸命/てんそんににぎのみことが天降りされようとするとき、道に立ち塞がる神があったので、天の宇津女/うづめの神に問わせると猿田彦神/さるたひこのかみで、天孫を先導するために出迎えに来たと言う。宇津女は安心し、広矛/ひろほこ渡し、地上を平定し降臨の先導を頼む。 このため、猿田彦(佐太の大神)は、道しるべの神として奉られている。 |
鐘 馗/しょうき
|
![]() |
むかし唐の玄宗皇帝/げんそうこうていが病の床に付いていた。この時、夢の中に1人の神が現れ、鬼を退治した。皇帝が夢から覚めると急に病がいえたので画人を呼んで、その像を描かせた。この神が鐘馗である。この故事により中国では疫神を退け、魔を除くと信じられている神である。 |
「千早ぶる荒ぶるものを払わんと 出で立ちませる神ぞ貴き」 |
鐘馗は須佐之男命/すさのおのみことが唐に渡り姿を変えたという説と、中国唐の時代、終南山に住んだ進士で疫神退治・魔除けの神という説と2つあるが、浜田系八調子の神楽では後者である。 石見神楽では鐘馗は最高の舞であり、舞手も熟練を要する。神が茅/ちの輪と宝剣を持って舞うのが特徴で、各社中とも最高の衣装を付けて舞う。 |
大 蛇/おろち
|
![]() |
悪行のため高天の原を追われた須佐之男命/すさのおのみことが出雲の国の斐の川/ひのかわにさしかかると、老夫婦が嘆き悲しんでいた。訳を尋ねると、夫婦には、八人の娘があったが、大蛇が毎年現れて、七年に七人の娘を取られ、最後の一人も取られる運命にあるという。命は、大蛇退治を約束し、毒酒を作らせ、大蛇がこれを飲んで酔ったところを退治した。この時、大蛇の尾から出た剣は、天の村雲の剣/あめのむらくものつるぎ(後の草薙の剣/くさなぎのつるぎ)として、天照皇大神/あまてらすおおみかみに献上され、三種の神器の一つとして、熱田神宮に祀られている。 須佐之男命は助けた娘、奇稲田姫/くしいなだひめと結婚し、これが日本で初めての結婚ではないかと言われている。 |
「青草を結い束ねて簑笠と 作り初めます須佐之男の神」 |
大蛇は石見神楽の代名詞とも言うべき神楽でそのスケールの壮大さは、他の神楽の比ではない。海外・県外公演などで、絶大な支持を集めている演目である。 |
五 神/ごじん
|
![]() |
日本書紀による神代七代/かみよななよの最初の神、国常立王/こくしょうりゅうおう(国常立尊/くにとこたちのみこと)の4人の王子、第一王子 春青大王/しゅんぜいだいおう、第二王子 夏赤大王/かせきだいおう、第三王子 秋白大王/しゅうはくだいおう、第四王子 冬黒大王/とうこくだいおうの所へ、四神達の弟、第五の王子 埴安大王/はにやすだいおうの使いと名乗る者が現れ、4人の王子達が、春夏秋冬の四季、東西南北の四方を占領し、年中360日を所領として第五王子 埴安大王には閏月/うるうづきと言えども所領とすることができないので所領を分けて欲しいと交渉に来るが、四神たちは、第五の王子が居ることなど知らないと相手にしない。そこで埴安大王を連れて来るが四神達は、五倫の道、五行の運行、四節の経過、四苦の存在など長々と論じ、天下はすべて四神の王土であると強調する。埴安大王は怒り、それぞれ五神とも軍勢を率いて合戦となる。そこへ天の神の使いの老人が登場し、五神達に神勅を下し、領地を分割して、仲裁をし、国土が豊かになる。 |
「この呈に五大王子を講じ立て 処世固め村の静めに」 |
石見神楽の一番最後に舞う舞で「五郎の王子」とも言う。農民の知識、哲学、倫理観を集大成したもので、天文、暦数の説明、陰陽五行説からくる、世界観、倫理道徳の教訓、神道、儒教、仏教の哲理までが混然として交じり、おどろくほどよく整理されたもので石見神楽の中の最大の長編であり農業の上から非常に尊重されている。 |